2021年12月23日木曜日

救急車

やっぱり多い。救急車のサイレン。日に二度のこともある。外で目撃して、家にいる時にサイレンが聞こえる。なんだろうと思う。

毎年こんなことはない。と思うのだが、今までは気にしなかっただけかも知れない。だから、毎年冬になるとこうだったのかも知れない。

でもやっぱりそうは思えない。なにか起きているのじゃないかと思う。世間でそれは言えない雰囲気になっている。いつもの冬と違った嫌な雰囲気。自分が乗せられるのもそう遠くはないかも。もっとも、自分はアレではなくて元々あまり体力のある方じゃない。

この頃居酒屋に居ることが多い。酒は控えた方が良いのだが、元々それ程は飲まない。でも、この頃ははしごをするようになった。何故かいつもの店が嫌になることがある。どうしてだろう。この頃は店は割と賑やかだ。そんなとき、店主があまり丁寧でなかったりする。それが棘になるのだろう。

ぼんやり考え事をしながら飲むが、どうも落ち着かない。そんなことから他を探すようになった。寒い中をトボトボと歩く。人通りもあまりない、そんな路地で見つけた。そこで、身内の誰それが接種で倒れたとかの話し声が聞こえてくる。

どうせなら、いっそ全部で終わってしまってもいいんだと、そんな気持ちになる。元々もう楽しいこともあまりない。精々ぼんやりと飲むのが楽しみだ。

よろよろとした歩きでどうにか自宅に帰りついて、ホッとした時に救急車のサイレンが遠鳴りに聞こえる。

ふと思う。そのうち段々近寄ってくるのだろうか。

2021年12月11日土曜日

アレの話をついに

スーパーで知り合いの主婦と遭遇。少しお喋り。身内の子供が、アレの後胸が痛くなって医者へ行ったと言う。

この種の話を身近で初めて聞いた。どの程度のものか知れない。しかし程度の問題ではないと思う。なにしろ、後戻りのできないことだと聞いている。 いつの間にこんな世の中になったのか。もともと子供にどれ程の理由があるのか。すこし立ち止まって考える余裕もないのか。人間はいったいどうしてしまったのだ。

もう受け止めるしかないと主婦は言う。子供は学校で、自分だけ別というわけにも行かぬ。もうあっはっはよ----主婦はそういう。

この人とは親しいから世間話もするのだ。周辺の人とはもう世間話もしない。だから、現実がどうなっているのか、まったくわからない。

どうもなければいいね。そう言って別れた。しかし、どうもないはずがないのだ。子供はこれから長く生きる。それがいったいどのようなダメージなのか、本当はだれも知らないのだろう。

いや、わかっているのかも知れない。きっとそうだ。しかしもうとぼけることになっているのだ。

明日はどうなっているのか、そんなことをぼんやりと考える。元々自分など、何があってももう大して生きる時間は残されていないが。

2021年12月8日水曜日

癌 7

急場に居なくなる。一大事が発生したときに何故か居ない。兄にはそういう不思議なところがあった。

予期せぬことだから計った訳ではないのだが、ついフラッと出かけて、その後に一大事が起きて、皆どこへ行ったと探すのだが、連絡が取れない。昔は現在と違って連絡手段がない。見当を付けて電話を入れたり駆けつけたりするのだが、どこにも居ない。商売をしていたから、手違いにで納品することもあった。直ぐに作り直さねばならないのだが、探す時間さえ惜しい。夜遅くになってようやくホッとしかかったときにフラッと帰ってくる。何度かそういうことがあった。そういう星だったのだ。父が亡くなったときも同じだった。休日なのにわざわざ出て行って、しかも会社へは行っていない。言ってもしょうがないが、隠れた奇妙な部分が兄には付きまとった。

自分を過大に見せたいところがあって、他人に奢ってまで自分のことを語る性格があった。それが借金にまで膨らんだことがあった。相手が聞いている限りお喋りは止まらない。そんな兄を見ていたせいか、私は逆の性格になった。自分を誇る奴が嫌いになったのだ。

一体、どんな価値観を持って生きていたのだろうか。価値観など大したものはなくて良いと私は思っているが、自分を自慢したがる人間がどんな価値観を持っているのだろうか。

ぼんやりと遠景にある自分たちの家らしき辺りを眺めながら思う。掴みどころがなく得体の知れないまま、住むとは予想もしなかったこの辺鄙な町で、兄は終わろうとしている。

2021年12月7日火曜日

サイレン

救急車のサイレンを何度も聞くようになった。先日は外で見かけたと思ったら、帰宅した後でもサイレンを聞いた。その後には遠鳴りでも二度聞こえた。

寒くなってきたし、いろいろと出やすいだろうとは思う。その意味では自分も注意はせねばならない。しかしもしかしたらアレかも知れないと思う。数が多いのだ。何とも言えないが、ちょっと嫌な気がする。

世の中はそのうちそっくり変わってしまうかも知れないと懸念している。今でさえ変だと思う。今のところ、少なくとも自分の周辺に異常はない。まだ居酒屋にも行ける。しかしいつまで自由かは知れない。一つ受け入れたらドンドン変わっていく。そういうものなのだ。

医療機関は、実際にはかなり怪しい部分を持ち合わせている。自分にもトラブルがあった。争うとなると平気で嘘を吐く。これはどこでもそうだ。しかし、組織全部で共通の嘘をやり始めると、どうにも抵抗のしようがない。

自分も最初はなにも気にしなかった。しかし今はかなり怪しいと思う。世の中は怪しい。

2021年11月20日土曜日

春雨バーガー 10

「今だったら、ブリの照り焼きが早いよ」

女将はいきなりそう言った。早いよと言うより、それにしろと言っている風に聞こえた。しかもある程度の強制を含んでいる。

しょうがなかった。

「あ、そう、じゃそれで…」

この店構えでブリの照り焼き。いったいどんなものが出てくるのか。失敗したと思った。ちょっと怖くもあった。なにしろ女将のご面相がなんとも。衛生面で大丈夫なのか。

待つ間、適当に雑誌を手に取って読んでいるふりをした。動揺のカモフラージュだった。少し落ち着けば。

女将は、なにやらガチャガチャとやっていたと思ったら、間もなくカウンターのせり上がりにあれこれを置き始めた。

「悪いけど取って…」

言われて私は立って手を伸ばし、ごはんとみそ汁を両手に持とうとした。

「一個ずつ持って一個ずつ。味噌汁熱いよ、落とすといかんからね」

言われるままにした。この女将には逆らえない雰囲気がある。確かに味噌汁は熱いから、危ないこともある。

ごはんも味噌汁も一般より大きな器に入っている。そういう店なのだろう。最後に乗せられた皿を両手で運んだが、これも大きい。ブリのボリュームもあるが、照り焼きと言うより煮物の雰囲気だった。しかしそれでも覚悟したものよりは上出来だった。

「マシかも…」

腹の中でそう思った。

2021年11月6日土曜日

癌 6

兄は交代制の仕事をしていた。父が卒中で倒れた日、本来休日だったが、「忙しいから出てくれと頼まれた」そう言って出て行った。しかし会社には出ていなかった。

父は散歩中に倒れて、その時点で亡くなっていた。警察から連絡があって、母ひとり家に置く訳にも行かず連れて現場に出向いた。その時はもう父の姿はなく、既に運ばれた後だった。署へ呼ばれたときは既に検視は終わっていた。手帳を持たせて、名前と住所を記してあった。 警察の前の公衆から何度も兄の会社に電話を入れたが、来ていないの一点張りだった。

警察は冷たかった。こっちは遺族なのに、そのいたわりもなかった。冷たい視線の嫌らしい男は係長だと言った。まるで犯罪者の扱いだった。こういう時は、そういうものなのだろうか。色々訊かれた後、所持していたものなどの確認をして、ようやく父の遺体の前に案内された。汚い倉庫のようななかだった。事件性がないので葬儀屋に連絡を入れてそのまま遺体を運んでもらった。

その間の母が心配だった。亡くなったということがわからずに、ずっと病院に居るのだと思っていた。どこに居るのか何度も訊いた。しかし棺桶を見せられて声をなくした。それでもしばらくは事態が飲み込めないようだった。

兄が居てくれたらと、何度も思った。

家に遺体を運んで、ようやくホッとした。母は疲れが出て倒れるように横になった。夜の十時ごろ、兄はようやく帰ってきた。

どこへ行っていたのか。会社に行ってたと言うのは嘘だったのか。私は頭に来ていた。兄は父の死を知って一旦は仰天したが、直ぐにいい訳を始めた。急に他の部署へ行ってくれと言われて…。

「嘘つけ、会社はそんなこと言ってなかったぞ。こんな時に適当なことを言って行方不明になるなんて、いったい自分はどういう人間か」

兄には得体の知れないところがあった。小さな嘘を平気で吐くようになっていた。一大事が起きたとき、何故か兄は居なかった。結局この時も、どこで何をしていたのか遂にわからない。

この兄のせいでいったいどれ程の苦労心配があったろうか。

そんなことをぼんやり考えた。

2021年10月30日土曜日

春雨バーガー 9

食事に出た。裕福ではないので普段は自炊している。しかしつい面倒くさくなった。麺類は食べる気がしない。きっとしばらくは無理だろう。何を食べようかと思いつつ半ば散歩をする。

この町は道路状態が悪い。やたらと段違いになっていたり、つぎはぎだらけになっている。路地とも生活道路ともつかぬ道を板塀や植え込みに挟まれて歩くとあまり歩かぬ、というか、一度も歩いたことのない道に出た。ようやく車一台走れる狭い道。この町へ来て長くはないので大方をまだ知らない。なにやら探検する風でその方が面白い。

道なりにぼんやり歩くと、福寿草という名の大衆食堂があった。汚れた看板、むろんウインドウのようなものはない。ただ軒の上にそういう看板があるだけだ。しかしとにかく暖簾が下がっている。

あまり綺麗ではない。美味そうなものが出てくる雰囲気はない。第一、人通りの少ないこんな通りに店を構えて商売になるのか。その訝しさが誘った。

入ると同時に逃げて帰りたくなった。二つのテーブルとカウンターだけの店だが、雑然と雑誌が積み上げられて、いつ掃除をしたのかと思えるほど汚れていた。しかしこれだけ雑誌が積み上げられているのを見ると、それなりに客はあるのかも知れない。安食堂の客の大抵は雑誌を読みながら食事をする。

女将がカウンターの向こうで座っていた。その風貌は太った某お笑いタレントをさらに太らせた感じでやたらと分厚い唇に顔が真っ赤だった。病気かも知れないと思った。

入ってしまった手前、出ていく勇気もなくて出口に近いテーブルに恐るおそる座った。

2021年10月25日月曜日

癌 5

病院の、サンルーフと呼ばれる待合室のようなところで手術が終わるのをぼんやりと待った。終わったときに看護師が呼びに来てくれるので、手術を待つ人が大方ここで待つようになっている。

左程飲みたくもないのに、自販機から一本出して、飲むでもなく飲まぬでもなく、備え付けのテレビでニュースを見るけれども、眺めているだけで何も頭に入ってこない。

奥の方では主婦のグループがボソボソと話をしている。いつから悪かったとかどうだったとか、病気の話ばかりだ。

この部屋の空気は、少ししんどいと感じた。外は屋上。そこから町を眺めてみようと思った。訓練歩行をしている患者や車いすを押している看護師が何人か居たが、それぞれには無関心だ。

柵によっかかって、自分たちの住んでいる辺りを探してみる。駅に近いスーパーから見当を付けて道筋を追うと、曇り空の向こうに小高い丘を削って宅地にした場所が見える。小さなプラモデルのような屋根が幾つも並んでいる。そこが私たちの住まいだ。何の因縁か、縁やゆかりができようとは思わなかったこの町に家族は住むことになった。バブルが弾けて、そろそろ買えるようになった頃、中古の住宅を私が購入した。あると言っても精々そんな因縁だ。そんな町の病院で、兄は命を終えようとしている。

2021年10月23日土曜日

吹き出物

隣り町の画廊を訪れた。客など居ないと思っていたが、女ばかり数人、世間話で盛り上がっていた。

今の世なので接近は躊躇われたが、芳名帳の前にたむろしている。間を縫うように分け入って名前を書いて出た。世間話はしない

翌日、鼻の下あたりに吹き出物ができた。何だか変だ。以前は首が変になった。

吹き出物と言うより、痛みに関してできものに近い。触るとできものの感触がある。こんな場所に、ちょっとやばい。中心線上だ。

しかし二日ほどして消えた。その消え方も普通のできものの感じではない。

後日、遠い所に用事があった。なるべく人に紛れるのは避けたいがやむを得ない。電車は割と混んでいて、座席に隙はない。こんな状態で一時間ほど乗った。

すると後に、右の瞼の端っこが痛くなった。触るとヒリヒリして、大したことはないものの、やっぱりできもののような痛みがある。それはまだ消えない。

どうも変だ。いま世間で言われている接種者から放出されるアレだろうか。デマだと言われているけど、どうなんだかなあ…。なんとも言えないが、ちょっと気になる。

2021年10月19日火曜日

別れの予感

老齢の母をひと月に一度病院に通わせていた。ボケの一種なのかそれとも現実なのか、耳の中に人が住んでいると言い始めた。耳鳴りの一種と思われた。

電車で三十分ほどの小さな町にある大学病院。そこにもう何度も通っている。いつも私が付き添うのだが、仕事の都合でその時は兄に付き添ってもらった。兄はしばらく前に勤め先をクビになって家でゴロゴロしていた。

私も駅まで着いて行って二人を見送った。二人が改札をくぐって、私は近くの陸橋の上から電車が入ってくるのを眺めていた。二人が無事に乗るのを一応確認してから帰ろうと思った。

電車が入ってきた。二人の姿が見える。よちよちと歩く母の手を引いて二人が乗るのが見えた。そのシーンが、何故か今生の別れのように、瞬間感じた。何故か分からない。分からないがそう感じた。

現実にはそんなことはない。無事に二人は戻り、帰りにどこで飯を食ったとか、そんな話で一応盛り上がったりもした。

兄はそれから凡そ十年後に胃癌で亡くなり、母もそれから更に四年後に介護途中で亡くなった。途中で大腸癌が判明した。

しかし何故か、陸橋から眺めたその時のシーンが妙に焼き付いている。時期は違うが、私は二人の何らかの部分と、その時別れたのだと、今も感じている。

2021年10月14日木曜日

癌 4

困った兄だったが、とにかく手術は成功して欲しい。一旦は家に帰らせてやりたい。それで何日持つか知れないが、僅かでも最後の日々を自宅で過ごさせてやりたい。

兄は遠からず自分が死にゆく身であることを知らない。知らない方が良いのだ。教えて何になる。兄はなんでも都合の良いようにしか考えない。幼なかった頃からずっとそうだった。心配性の私とは正反対だった。胃潰瘍としか伝えねば、手術が終わったら問題は解決したと思い込む。それで気楽に何日かは生きる。それで良いのだった。

何年も前に父は亡くなっている。散歩中に倒れた。脳卒中だった。兄は父に、半ば無理やりに家業を強いられ、冴えない家業を手伝っていた。事業は回らず、何年やっても楽にならず、兄の人生は崩れた。いつの頃からかパチンコや競馬など、かけ事にのめり込むようになった。元々身勝手な部分のある性格だったが、崩れるのも理解できないことではなかった。

2021年10月13日水曜日

妙 ある事故のニュース

2019年のある日、ぼんやりとネットをさまよっていていて、その事故のニュース記事を偶然見つけた。確か厚木市だったか、川の向こうにある高校へ自転車通学の途中で、女子高生が大型トラックに轢かれて亡くなった。

川にかかる橋をやや登った辺りで、向かいから歩いてくる通行人のリュックが自転車と接触し、バランスを崩して転倒したところをトラックに轢かれたと。

しかし記事によると、事故の日付は2015年の3月となっている。これが、ちょっとばかり私には腑に落ちない。私がそのニュースをテレビで見たのは2018年だった。しかもリアルタイムだ。

そんなやりきれない事故があったのかと、ネットでも報じられているであろうと記事をその時点で探した。しかしなかった。あちこちにニュースサイトを訪れたが、どこにもそんな記事はなかった。

妙に思いながらも、いつしか記憶から消えた。そして偶然、2019年になってその記事を見つけた。報じられている事柄はリアルタイムで見た報道と合致する。しかし時期が合わない。事故から三年も経った後に、私はテレビのリアルタイムニュースみたことになる。

テレビ局がどこだったかなどはもう覚えていない。しかし間違いなくリアルタイムだった。こんな事故が報じられれば、私の性格上強い印象が残る。しかし 2015年に何があったかなど、もう全然覚えていない。その年は私にとって大したことはなかったのだ。あれば必ず私の記憶に残っている。

このようなこともあるので、私にはこの事が胸のなかにずっと響いたままだ。僅か数秒で人の生き死にが変わる。どこかの誰かのちょっとしたことでタイミングが変わり、後の運命がずれる。それは当たり前だろうとは、なかなか思えないのだ。

橋は交通量が激しく以前から危険が指摘されていたようで、事故後には専用の歩道が設置され、現場には花が添えられている。機会があれば訪れて手を合わせてみたいと思いつつ、果たせないままだ。


2021年10月11日月曜日

春雨バーガー 8

バーガーは捨てた。既に食べる気にはならい。袋を締め付けるように捩じって、もったいないことをしたと思いつつゴミ箱に投げ捨てた。

そうだ、口をゆすがねば、今頃思い出した。出しっぱなしのコップを先ずゆすいでと思ったら、飲みかけたまま半分底に残った水に何か浮かんでいる。

「糸くず?」

目を近づけて覗き込むように見ると、それは長さ5ミリくらいの黒い糸くずに見えた。はて、部屋の中に黒い繊維なんてあったか。

そのままゆすいでしまえと思ったが、思い直して割り箸を取って先で救ってみた。先端に乗っかるような形になったそれにさらに目を近づけると、ちょっと動いたように見えた。

「え?」

何かの幼虫だ。いったいどこから来たのか。ティッシュを取ってそいつを擦り付けると、溶けるように形が崩れた。そして徐々に灰色の染みになって広がった。

ティッシュの上に染みだけが残った。

2021年10月10日日曜日

癌 3

胃潰瘍の再発だと、兄にはそう説明した。本当のことを言ってもしょうがない。それを受け止めてどうのこうのという性格じゃない。自己管理のできない自堕落な暮らしを続けて、ついには私の元に転がり込んできて、その後は居候のような生活を続けていた。兄の借金を私が肩代わりしたような身の上で、遺産もなどあろうはずもない。今更この兄から遺言されることなどなにもない。実際まったく、心配事ばかりの厄介な兄だった。半年持たないで死んで行くそんな兄には、もう余計なことを言わずに、多少でも気楽な気持ちのまま逝かせてやれば良いのだった。

「悪くなっている部分を切るんだ」 手術の説明をした。医者からのあれこれは私が聞いたが、細かいことは伝えなかった。

ほーんと言う顔で兄は聞いていた。またやるのか、面倒くさいこっちゃとうんざりした顔を浮かべた。入院室のベッドに横になってぼーっと窓を眺めていた。ポツンと、いつ出られるのかと訊くから、そんなにかからないらしいとだけ答えた。

2021年10月9日土曜日

癌 2

「癌だね、癌」

ある程度の予想はしていた。しかしまさかとも思った。医者は続けた。

「年は越せないね。これじゃ三か月か、長くても四か月」

そんなに急なのか、いままで曲がりなりにも普通に暮らしていた。食事だってできていた。変だと言い始めてから二週間も経っていない。

医者は写真を見せた。

「幽門ね、ここがもう詰まっちゃって…」

見せられるとそうかと思う。初めて胃の内部を見る人間に何がどうとも分からないが、確かに随分腫れていて、本来あるはずの穴が塞がってしまっているようだ。

「とにかくこれを切って、一度は帰えれるけど、自宅で何日過ごせるかは分からない」

私は写真を見ながら黙っていた。

「お兄さんに説明する?こっちでしようか」

私は黙って首を振った。兄にはもうやらねばならないことなど何もなかった。何もしない人間だった。言って覚悟を決めてもらうことなど何もなかった。

2021年10月7日木曜日

春雨バーガー 7

それは生き物を連想させた。動きが不自然だ。しかしそう見えただけかも知れない。あんなのを目撃したから。

割り箸で渦をほぐしてみる。どうやら春雨には種類があるようだ。普通に見かける白いのばかり見えるがさっきのは違っていた。真ん中に芯があった。そいつはどこに紛れた。

箸を動かす度にネチャついた音が聞こえる。大した量じゃないのに、もうどれだかもうわからない。しょうがないから掴めそうなのを適当に摘まんで持ち上げた。輪になって伸びて、しかし端っこがなかなか出てこない。今度は落とさぬようにぐっと引っ張る。やっと出てきた。頭、いや尻か。目を近づけるが、ケチャップにまみれている。一緒に入っていた紙ナプキンで拭ってみる。しかしこいつはごく普通の春雨にしか見えない。

思い出した。そうか、春雨にも黒っぽいのは混じっているものだ。きっと種類の違うこんにゃく系が混じっていたのだろう。

そんなところだな。私はつい笑いを浮かべた。さっきのシーンが気持ち悪かっただけなのだ。どうと言うことがなくなるまでは麺類は駄目だな。

2021年10月4日月曜日

春雨バーガー 6

部屋に入ると小さなちゃぶ台の上に適当な雑誌を広げて、一旦はそのまま捨ててしまおうかと思ったバーガーを袋から取り出して置いた。

噛んだ歯形が見事に残っている。自分の口はまん丸くて良い歯の形をしているのだと妙なところで認識するのだったが、その部分からは春雨は見えない。縮んで引っ込んでしまったのか。

重なったパンを摘まみ上げてみる。すると、春雨はぐるっと回るような渦を巻いてた。機械的な渦だと思った。辛子やケチャップや野菜やマヨネーズがもっともつれ合った姿を想像していたが、整っていた。

しかし、噛んだ部分が見えない。どうしてだろう。不思議な思いでちょっと顔を近づけてみる。ちゃぶ台の上にいつも転がっている割り箸で一部を探って、一本摘まんで引っ張ってみた。灯りで透けるように顔を横位置に下げてじっくりと観察した。

麺が二重に見える。黒っぽい芯があって外が透明にできている。複雑な形をしている。こんな春雨があるだろうか。芯のように見えるのはなんだろうか。製法の関係でできるものだろうか。

虫眼鏡がどこかに…そう思ってちょっと振り向いたら油断して春雨が落ちた。アッと思ったら、そいつは引っ張ったゴムが縮むように勢いよく春雨の渦の中に消えた。

2021年10月3日日曜日

癌 1

元々強いほうじゃなかった。まだ若い頃に胃潰瘍で一度切っているし、緊張したりストレスを感じると唇が荒れた。そんな兄は胃薬を手放せなかった。時たま品を変えたりして、何十年もそれでやってきた。しかしある時、胃がムカつくと言って気分悪そうにしていたと思ったらいきなり流しでゲロゲロとやった。

うちの一家はこんなときいつもそうなのだが、土曜日の夜で医者へは行かなかった。兄は休んでいれば大丈夫だと言った。一応月曜日に近くの開業医で診てもらうことにした。医者は別の大きな病院を紹介した。ここでは設備がないと。一日置いた指定日に紹介状を持って出かけた。私は仕事を抱えていたが、幸い自宅での仕事だったし、多少の納期もあったから診察にずっと付き合うことになった。

紹介状を読んだ医師は隣町の大学病院からの出向だった。准教授らしい。容態の説明を多少した後に胃カメラに回されて、その後長い時間待たされたが、付添いの方どうぞと、何故か私だけが診察室に呼ばれた。私が椅子に座るなり医者は言った。

「駄目だねこりゃ…」

2021年10月2日土曜日

春雨バーガー 5

雑草に囲まれた空き地と言えば空き地の一角に、泥水の溜まった丸い花壇を囲むようにして建っているコの字型の古い木造アパートに私は戻った。アパートと言ってもそもそもここはアパートではない。昔は何かの会社だったとかの使える部屋だけを多少改造してあるだけで、私はむしろその雰囲気が気に入った。平屋の建物で、アパートと言えば二階建てしか知らない私には新鮮でもあった。

部屋は六畳と三畳の二間しかない。一応流しがあるので、元は休憩室だったのだろうか。 小さなドアを開けると三畳間、奥に六畳間に押入れとアルミサッシの窓がある。日頃は三畳間にちゃぶ台を置いて食事をし、奥に机を置いて仕事をしている。

仕事は大したものではない。いくつかの書類に目を通し、不整合な部分を拾い出す仕事だ。終わったら納品に出かけても良いし郵送か宅配でも良かった。大したことはないのだが、時折は不鮮明な文章や図面などがある。そんな時は神経を使う。

他の住人は、今の所見ない。気楽で良いのだが、心細くもある。しかし隣の心配をしないで良い方が私には良かった。格安だった。

多少面倒くさいのはトイレだった。古いままなので浄化槽式の和式。これが花壇の向こう側にある。今は良いが、寒くなってくると夜中は面倒だろうなと思った。トイレと私の部屋以外は閉鎖されているようだった。

2021年10月1日金曜日

ご挨拶

いきなり初めてご挨拶もありませんでした。ここで多少のご挨拶をさせていただきます。

ここに記述していることは、その全部と申し上げている通り、現実も妄想も全てが含まれています。決して全部が妄想ではありません。でも、それを信じる必要はありません。自分の身に起きたことは自分にしか解りません。それは全くの空想と入り混ぜて語っています。

世の中こんな状態ですので、あれこれのことをしても、私もいつ流れ弾に当たるか知れません。そう思ったら、多少の戯言を呟いておくかと思いました。流れ弾も怖いですが、今この世で起きていること自体、まさに誰かの冴えない妄想のような気さえして、私はいささかの恐怖を覚えます。多少過去に戻って、誰かに今の現実を語っても信じないでしょう。

記事はまったく不定期で思いつき次第で書いています。書いていて退屈したら止めるかも知れません。面倒見の悪いブログですので、出来心で順不同で書いています。なので記事が飛んでしまったりしますが、続けてお読みになりたい方はラベルから引っ張ってください。酔狂な人がどれだけ存在するか私にはわかりませんが、閲覧して頂ける方には感謝申し上げます。

2021年9月30日木曜日

春雨バーガー 4

坂の途中まで来てふと立ち止まった。道の両側に古いとも新しいとも言えぬ面白みのない民家やアパートが並んでいる。どれも個性のないマッチ箱のような建物だ。物成りがありそうに見えない荒れた畑の間に、それらがあるところでは並びあるところではポツンと点在している。田舎情緒もなく近代的でもない、歩いているだけで退屈しそうな殺風景なこの町に何故越して来たいと思っただろうか。

空の雰囲気がいつもと違うなあ…薄曇りの空を眺めて、ちょっと違和感を持った。風景が墨っぽいと言うか粉混じりと言うか、なんとなくそんな気がするのだった。少し煙っているのかも知れない。でも、越してきたときの雰囲気はこんなではなかった気がする。

そんなことを思ってもしょうがないが、先程のことがあったせいか、きょうはちょっと変なのかも知れない。単にいつもとコンディションが違っているのだろう。そう思ってまた歩く。距離は大したことないが、駅に近いマーケットまで毎日買い物に歩くのは大変だ。今までは何とかしてきたが、そのうち自転車でも買おう、安物で良いのだが、値段はどれくらいするのだろうか、あれこれと考えつつ、周辺を背の高い雑草に囲まれた一角に辿り着いた。

2021年9月29日水曜日

春雨バーガー 3

袋からもう一度バーガーを取り出して、かじった部分をしばし眺めた。噛みちぎった春雨の一部が伸びて垂れさがっていたはずが、なかった。縮んでしまったのか。

不思議にも思いつつ突っ立っていると、女性が気付いてこちらを振り向いた。手には寄生虫と思しきが絡んだままの器具を持ったままだ。横に二人ほど居たいずれも男性が、女性に連られる様にさっと私の方を見た。

慌てて私は視線を外した。まずい、もしかして秘密のようなものを見たかも知れない。バーガーを咄嗟に袋にしまって、そのまま急ぎ足で自宅に向かって歩いた。そうだその辺の自販機でドリンクを出して口を漱ごう。そう思ったが、記憶にある場所に自販機がない。どうして、ここにあったはずなのに…。

しょうがない。歩を速めて緩い坂道を上った。自宅は畑やありきたりな民家が並ぶ殺風景な生活道路をしばらく上ったところにあるこれまた古いアパートだ。まだ越してきてあまり経たない。

2021年9月28日火曜日

春雨バーガー 2

しかし口の中にひとっかじり入っている。しょうがないからそれだけは無理やり飲み込んで袋の口をねじってぶら下げて、路地をそのまま行こうとしつつふと思いだす。このバーガー屋は以前コンビニだったはずだ。いつの間に変わったのだろう。

路地の右手、つまりバーガー屋の真裏は駐車場になっているが、本来は殺風景な空き地だ。隅に家が一軒建っていて何人か家の前に出ている。目をやると、白い飼い犬を囲んで何かしている。

普通に撫でてやったりしているのかと思ったが、一人の女性が犬の耳に何かをねじ込んで居る気配だ。薬でも塗っているのだろうと思っていたら、女性はサッと腕を抜くようにすると、ピンセットのような器具とその先に紐のようなものがぶら下がって出てくるのが見えた。

紐は黒っぽくて動いている。もしかしたら寄生虫だろうか。そいつは器具に巻き付いて、その動き方が如何にもだった。

たった今食べた春雨バーガーが、急に気味悪くなって戻しそうになった。

春雨バーガー 1

駅前に見慣れぬバーガーショップがいきなり現れた。こんな店あったかなと思った。記憶に全然ないので不思議だった。でもちょっと食べてみたくなった。

金額は忘れた。適当な値段だったと思う。袋をもらって外へ出た。アパートへ帰る道々、歩きながら食べようと思った。

店を出ると直ぐ右の壁に沿って路地がある。ひと口かぶりついて路地に入りかかったが、食感が変だと思った。噛むのを止めて、噛んだ後の自分の歯型を眺めた。黒い半透明のプニョプニョした麺状のものが垂れている。

ふと壁の上方を見ると、ここにも店の看板があった。絵入りで、特性春雨バーガーとなっている。絵には春雨は描かれていない。

「春雨?」

妙なものを作ると思った。しかし春雨なら、そんなバーガーもあるかも知れぬと納得しかかった。しかしなんだか食べる気がしなくなった。そのつもりでない味がしたら、どんなものでも戸惑うのだが。

2021年9月27日月曜日

首に異常が現れた

知り合いの主婦の家の前を通りかかったら主婦が玄関前に出ていて掃除をしていた。主婦は既に二度アレを済ませている。

主婦を右側に見て、数分世間話。主婦は自分の家の前故にマスクをしていない。ちょっとゴメンと、一旦引っ込んでマスクを着けてまた出てきた。

主婦と言っても年配。既に孫がいる。その孫にもアレの説明がきているとか。迷っているらしい。こちらはどうとも言えない。うーん、どうもなあ…と言うしかない。

翌日だったか、主婦と接した側、つまり喉の右側に痛みが現れた。ちょっと経験したことのない変な痛みだ。喉から右側頭部にかけて痛む。それほど大したことはないが嫌な感じ。風邪のときのように唾を飲むと痛いとかの感じでもなく咳もない。

もしかと思ってお茶など濃くしたりなどして、他にもあれこれ飲んでみる。痛みは四五日続いた後に消えた。その後は誰と接しても同じことは起きない。もっとも、接すること自体なるべく避けているが。

こういうことがあると、あの話って、もしかしたらと思わぬでもない。でも、まさかね…。