2022年11月27日日曜日

癌 11

「ああ、お兄ちゃん帰ったんか」

母は兄のことをお兄ちゃんと呼んでいる。私を名前で呼んで兄をお兄ちゃんと、いったいいつの頃からだったろうか。

母は事情がよく呑み込めない。兄にさえ言わぬのに母に本当のことを言う必要などなかった。今回も胃潰瘍としか思っていない。二人してそう思っているから、そのままで良いのだ。

「ご飯食べるか」

いきなり頓珍漢なことを言う。

手術を終えてようやく家に戻ってきてやれやれの雰囲気になったが、とにかく消化の良い柔らかいものしか食べられない。お粥とかなるべくほぐしたようなものばかりだ。通勤している時は、腹を空かせて帰ってくるから、とにかく何か食べてから寝る習慣だった。きっとそんなことも良くなかったのだろう。しかしとにかく、若い頃から胃は丈夫ではなかった。唇にそれがすぐに表れるようなことだった。

「もう治ったんか」

母が半分寝ぼけたような顔でとぼけたことを訊いた。

「そや、悪いとこをすっかり切ったからな。でも、病み上がりや。しばらくはあまり食べられんのや」

医者から渡されたプリントを見ながら、もうすっかり心配事が去ったかのようなすっきりした顔でそんなことを兄は呟いた。

事態を背負っている孤独を私は感じた。私だってそんなに健康じゃない。血糖値も血圧も高く、仕事を抱えつつ、この二人を見て行かねばならない。母は自分でトイレに行ける以外は何もできず、これからは兄もほぼテレビをつけっ放しの寝たっきりになる。自分に何かあったらと思うと同時に、小さな平穏も長くは続かない、主治医は家に居られるのは長くても二か月と言っていた。以後はもう戻れない。その間を、なるべく普通に過ごすしかないのだった。


2022年10月19日水曜日

癌 10

決して関係の良くなかった兄なのに、手術が無事に済むように、まったく不似合いだが、癌で願い事をするような神社を見つけてお参りもした。何度も何度も頭を下げて、何とか無事に済みますようにと呟いた。

何故なんだろうか。実際この兄が好きだと思えたことなど一度もない。どころか、いつまでも頭の上に漂っている黒い雲でしかなかったのに。 

 「とにかく、無事に済みました。でも、普通で居られるのは一か月、長くても二か月ですよ」

主治医はそう説明した。こんなとき、二か月持つなどと甘くは考えない方が良い。大体はそう言うものだ。とするとここからの一か月、なるべく好きなことをさせてやるしかない。好きなことと言ってもどこへ行って何がということはもうない。ずっと横になって、図書館から読みたい本などを借りてきてやるくらいのものだった。弱っているから、風呂やトイレくらいは自分でできるがその他のことは一切できない。それまでは食事の準備くらいはやってくれていたが、以後はそれも自分がやらねばならなくなった。

 数日後、退院時に食事の注意など一応の説明を聞いて、私ももう車に乗らぬので二人してタクシーで帰宅した。癌であることを知らせないままだから、すっかり事が済んだのだと思い込んでいる兄は、車の中で気楽に世間話などをしていた。適当に笑みを浮かべながら相槌を打ってそれに応じたが、私の気は重かった。そんな私の優れぬ表情にも、兄はあまり勘づいていないようだった。

 家では母が横になっていた。以前は座って編み物などをしていたが、この頃は横になっていることが多い。老いているが、この母より兄は先に逝くのだ。そして母も、何年この状態で居られるのか分からない。そしていずれ自分の時が来る。その時私がどんなになっているのかと、起き上がってきた母を見ながらそう思った。

2022年9月27日火曜日

粘着質--10

私はついそのような感想を持ったが、彼に言わせると、実は違うと言う。私はこのタイプの人を、恐らく自信過剰なのだと思っていた。だがそうではないと彼は言う。

「元は劣等感さ」

不快さを鼻息で飛ばすような言い方だ。劣等感が逆に出ると言うのだ。

私はちょっと小首を傾げた。

「そうかな、劣等感があったら自信家になれないのじゃないかね」

「お前ならそうかも知れん、だがちょっと子供の頃のことを思い出したら直ぐにハハーンと来るぜ」

ああ、なるほど。自分より褒められる人間が気に入らなくてしょうがない。自分より上に居る奴が憎い。確かにそう言うことはあった。それが正当でも認められない。だから機会があれば自分より凄い人の評価を下げようとする。子供の頃は元より、大人になってもすっかり消えることはない。

「その、劣等感の相手がお前だというのだな」

「この場合はね、でもそれは大して重要じゃない、こういう人はきっかけを作った人間の誰にでも噛みつく」

そしてその切っ掛けは、彼が一般論として記した周辺の絵描きに関する苦言だった。画家の大半はお説を持っていてそれを得意げにしゃべることが多い。中には堂々と他を批判している人も居る。それが彼には不快だった。元々彼はそのタイプが嫌いなのだ。程々にしませんかというような記事を書いたことがあるらしい。

この人は自分が教える側に回っているのにどうみても自分が素人の域を出ていないことを自分で知っている。自分の中ではそれが鬱屈している。教える側なので要らぬ背伸びもしなければならない。先生としての立場があるから、出来の悪い絵でも、絵は上手い下手ではないと、もっともらしい言葉で誤魔化さねばならない。それがドロドロと絡んで解きようのないまでになっている。

「ふーん、そうかなあ…」

そう言う解釈は私には少々人が好過ぎるように思えた。私には、もっと救いようのない邪鬼のようなものをこの場合感じるのだ。

2022年9月7日水曜日

春雨バーガー 12

例えば鯖には、ごく普通に寄生虫があって、例外はない。探さねば見えないが普通に鯖缶にも入っているらしい。私は塩焼きなら食べるが、それ以外は苦手だ。家族は普通に酢で締めて食べるが私は食べなかった。元々生が苦手だが、酢で締めないと虫が居るからと誰かに聞いたことがあったからだ。酢につけても虫は死なない奴も居るのじゃないか。

こんなだから、死んでさえいればあまり虫を気にしないのかも知れない。しかし私は嫌だ。辛うじて焼き魚が食べられるだけだ。それにこんなデカイ虫が居るのか。それは普通に見かける春雨より太い。煮られて茶色っぽく変色しているが、明らかに虫だ。箸で摘まみ上げるまでもない。

一気に気分が悪くなった。戻しかけたがどうにか抑えた。素早く金を払って出ようとした。

「あら、どうしたの」

女将が不審そうに尋ねたが、急用を思い出したと言ってそのまま店を出た。ちょっと行ったところで路地を見つけて隠れた。沿うように流れている排水路に口に残っている物を吐き出した。

それにしても、あちこち虫ばかりだ。いったいなんだと言うのか。

呟きながら更に行って自販機を見つけ、苦そうなお茶を出してうがいをした。お茶が良いような気がした。

衣がないから分かったのだ。フライだったらわからない。うっかり食堂にも入れない。

 

2022年8月12日金曜日

粘着質--9

素人がど素人に教える絵画塾--とでも言えば良いのか、確かに彼に絡みついている厄介な人の絵を眺めると、素人の私にさえとても教える側に回るべき人ではないとわかる。とてもそのレベルではない。

しかし趣味なのだから、それはそれで楽しめば良いのだと思う。問題は、この人がどうやら己の未熟に全く気付いていないことだ。本気で己を達人と信じている気配がある。そのノリで、いつ果てるともないお説を垂れ流している。この人に習っている人たちがこれを読んでいるのだろうか。

段々うんざりしてきた。ちょっとばかり興味を持ったのだが、読んでいくうちにムカムカしてきた。と言って話の材料になるような良きにつけ悪気につけ興味の持てる部分がない。それは本当に、たんなる低レベルの思い上がりに過ぎない。

文章のかなりは他のブログや美術雑誌からの受け売りだ。絡んでいる彼のブログの記事からも幾つかを拝借している。勿論言葉使いは変えてあるが。

文章そのものも下品だ。だっつーの----形式も混じる。本人としては行けているつもりなのだろう。全体を通して、それは言ってみれば、修羅長屋の異常に悪口好きな人間の言葉だった。

あまりの不愉快さに私は疲れを感じた。これはネタにもならない。本物の下種は眺めるだけで疲れるのだ。

2022年7月22日金曜日

粘着質--8

結局彼は全てのブログを一旦削除したらしい。

「良いのだ別に…」と彼は言う。どうやら彼は彼なりにむしろ良かったと思っている節がありそうだ。

「適当にアクセスがあったりね、フォローしてくれる人がそこそこあったりすると結構気兼ねがしてくるんだよな」

ブログは日々適当に更新する癖がつくらしい。アクセスが減ってくると焦るのだとか。そんなこと気にする必要はないとは思っているが、そこがどうにもそうは行かないそうだ。だから、あまりできの良くない絵を妥協して公開してしまったりがあると言う。後から見ればそれはかなりみっともない。本来の出来ではない。そんな反省が後を絶たないのだとか。

「自分で言うのもアレだがね、それなりに練習が捗ると短期間にかなり絵が変わってくるんだ。するとね、出来の悪い絵をぶら下げてブログは続けたくない。だから…」

適当な位置で一旦止めるのも悪くはないと彼は言う。私から眺めるともったいないような気もするが、彼の考えでは適当に別を起こしてレベル的に違う段階へ進むのもアリだと言う。

「そんな意味ではね、あの粘着婆さんには感謝しているんだ。こう言うこともないと新たな道に進まないからね」

どんなものなんだか、それは考え方次第だが、意外に彼は別の結論を見出したようだ。彼はきっぱり言い切った。

「ブログなんてね、結局は時間の無駄使いなんだ。するべきことは、本当は他にいくらでもあるんだ」

2022年6月17日金曜日

粘着質--7

避けた方が賢明だとされる人間のタイプに、どんなことでも否定したがると言うのがある。簡単な世間話を振っても必ず「いや…」と返事を返す。とにかくどんな話でも必ず否定から始まる。

このタイプの人を心理学などではどう扱っているのだろうか。詳しいことは知らぬが、勿論私の身辺にも居る。どこにでも居る。珍しくもないが、普通なら相手にしないで済む。その辺のどうでも良い存在だ。厄介なのは、こちらが頭を下げねばならない取引先の担当者とかの場合だ。

確か、初めて会社勤めをしたときにそんな話があった。新入社員教育みたいなものだが、そのタイプを相手にせねばならない場合の対処法。つまりはおだてる。社内の人間ならともかく、社外ではそれしかないのだ。

多少は調べてみた。自尊心が強い。相手より自分が上だと思いたい。その癖自信がない。やっかみが強い--等々。

気持ち悪る…。速く言えばこれは粘着質そのものじゃないか。大体粘着質とはそう言うものだ。

いつの頃からか件の相手は彼の批判や当て擦りを自分のブログでネチャネチャと書き始めた。具体的に記事の個所があるので、一般論ではない。明らかに彼を指している。どころか、自分の展示に来た人の中であまり感心しない顔で帰った人が居たようで、その人のことをまあネチャネチャと書いている。

ちょっと異常か。私は思わず呟いた。多少のことは誰にでもある。しかしこれはちょっとしつこい。こんな相手なら彼でなくても気持ち悪いだろう。彼がブログを続ける限りどこまでも探し出してその記事にネチャ着く可能性がある。しかもこれと仲が良いらしきが一人居る。そっちは男だ。

彼にはいささか同情するがしかし、小説ネタとしてはちょっと面白いかも知れない。

2022年5月21日土曜日

粘着質--6

具体的にはこうだ。彼は絵画は全く個人的な作業で、これは多分多くの作家がそうだ。商業美術でない限り。だから、自分が取り組んでいることを周りが全て理解する必要はない----と考えている。勿論人はそれぞれなので他人がどう考えているかなど自分の問題ではない。

粘着はここに批判を書いている。独りよがりの禅問答と。そして自分は真心を込めて相手に誠心誠意伝わる絵を描いていると。

成る程な----と私は思った。このタイプなんだ。しかもその文面は彼のことを明らかに指している。普通の人間ならこれはやらない。少々気に入らない意見があってもこの世界では当たり前なのでそれで直ちに粘着すると言うことはない。元々絵画など誰がどんなスタイルで取り組もうが自由であるはずだと素人の私でも思う。

技術的なことでも絡んでいる。ある技法について語ると、二三日後にはかならずそのネタで記事を書いてくる。しかも自分の方が良く知っているとでも言いたげだ。そう言うのが幾つもある。別に彼はどこかの個人に向けて記事を書いているのではない。しかし相手は彼を狙い撃ちしている。

どうしてこんな風に粘着されたか----と言うことだが、それはブログを営む者の多くが登録するランキングシステムであることは明らかだ。こういう人は隣近所に並ぶ人の記事をいちいち監視している。そして気に入らない記事にはしつこくなるタイプだ。

無論ランキングには何の責任もない。それは単なる紹介のシステムに過ぎない。私だってこんな文面を書いて登録している。だが彼は絵を描いている多くに人に対して一般論として苦言することがあった。描くことより口の過ぎる人が多いのも事実。だから、程々にされてはというようなことを呟いた。多分それが、と言うより明らかに、この粘着さんに当てはまっていたのだ。

2022年4月19日火曜日

粘着質--5

一応の警告をした--と彼は言う。それとない記事を書いて、そのなかに本人が読めば判るような文面を散りばめたそうだ。もちろん、飽くまで一般論として…。

もともとネットに入れ込み過ぎるのは要注意だ。他人が呟いていることを異常に気にする、記事を書いたら反応が気になって仕方がない、反応がないとイライラする、反対論者には絡みつかないと気が済まない、これ皆異常への入り口だと。

彼は特に己の一般的な絵画論や技術論に関して、それと判る形で引用されてネタにされたりネチネチと当て擦りめいた批判記事を書かれている。何か書くと二日三日後には必ずネチネチとやる。これはかなり気味が悪いだろう。

「周りで言ってやる人が居ないのかね」

「周りがわざわざ言うはずはないだろ、関わらないのが一番さ」

そう言えば、Twitterでの激しいやり取りはまったく正面切っての揉め事みたいなもので、私にはそこに入れ込む人の性格を歓迎しないが、世間というものは大なり小なりそう言うものだ。しかもあれは発信者が最初からのある程度の覚悟を持ってやっている。双方がそうだ。だからあれはあれで良いのだ。しかし彼はそう言う性格ではない。だからあれには手を出さない。絵を描いても絵画論でしつこいのはいくらでも居るそうだが、それと判ると彼の方からサッと距離を置くようにしているそうだ。

美術論など人さまざまがあるものだが、あまりしつこくて上から目線で語る人や気取りの強い人にはそれなりの苦言もするが、飽くまでそれは一般論で述べていてどこの誰かを的にしたものではない。しかし相手は一般論ではなく、明らかに彼に向けて当て擦りを発信している。これはストーカーのようなもので、少なくともその入り口であるだろう。その性格がいったいどこから湧いてくるのだろうか。

2022年4月10日日曜日

トイレ--2

戸建ての住宅地は、外観は多少違っても基本的には同じ形で建っていることが多い。キッチンやトイレの位置などは並びで大体同じだ。つまりこちらのトイレは隣の庭に面している。用を足しているときに隣人が庭仕事などをしているとちょっとやりにくい。事実そうなることもあるのだが、普通ならあまり気にする程ではない。しかしある時から彼女は気になり始めた。その頻度が徐々に高くなったのだ。

爺さんはいつの頃からかずっと家に居るようになった。そして何故かしょっちゅう庭に出ている。時にはトイレの窓のすぐ近くにずっと居ることもある。だが庭にそれ程の手入れを要するものが植わっているように見えない。

娘がそれとなく言うと、実は母もそれに気づいていた。なるべくなら爺さんが庭に居る気配がないときを見計らってトイレを使う妙な具合になった。

幸いトイレは一階と二階の両方にある。以後はずっと二階のトイレを使うようになった。しかし真下に居られてはそれでもやりにくい。水を流すときはしょうがないが、なるべく音を立てないでやる。父にもそれを言うのだが、それ程気にしていないようだった。父は出勤前に使い、後は夜まで家に居ない。気にしているのは仕事のことばかりであまり余計なことは考えたくないようだった。

母娘は対策を考え始めた。

2022年3月31日木曜日

粘着質--4

彼は放置するつもりのようだった。そんなの相手にしていては自分を下げる。それはそうかも知れない。しかし私はいささか興味を持った。凡そ人間にはサラッとした人間と粘着質でくどい人間が居る。いったいどこからそれが別れてくるのか。生まれつきなのか育ちなのか。

粘着は誰にでもある。言い合いになったらなかなか収まらないのもそうだし、惚れた相手の近所をうろつく程度のことは大なり小なり誰でもある。しかし異常に強いのが存在する。彼に粘着している相手がどんな人間なのか、眺めてみるだけでも面白いかも知れない。

彼のブログよりも相手を眺めた方が手っ取り早い。相手は彼に読ませることを目的にして記事を書いている。的を絞っていてその全ては彼を否定することと当て擦りだ。そんな記事ならすぐに判断が着く。それに相手はタイトルにそれがモロに出ていると言うから探す苦労もない。

一体何が切っ掛けで彼に粘着するようになったのか。必ず切っ掛けがある。彼がごく一般論として書いた記事が気に入らなかった。大体はそんなところだ。しかしそれでいて彼の記事からネタを取っているという。

確かにそういう人は居る。私の過去を振り返っても何人もいた。だから別に、珍しいことでもないのだが…。

2022年3月23日水曜日

癌 9

エレベーターの音がして、扉が開いたと思うと若い看護婦が私の名前を呼んだ。振り向くと随分息せき切って看護婦の顔が弾んでいる。手術は成功したのだとそれが語っていた。

この手の手術はあり触れていてそんなに危ないものではない。大体は上手く行く。しかし家族にそれを伝える時は看護婦もやはり気が弾むのだろう。

手術室のある階まで降りて、看護婦が私を待たせたまま一旦手術室に入り、しばらくするとドアを開けてどうぞと招いた。執刀医がそこで待っていた。この医者は主治医ではないが、その上位にある者のようだ。某大学の副教授らしい。頭を下げる私に、透明ケースに入った切り取った胃の一部を私に見せた。

一部と言ってもかなり大きい。私は胸につかえた。生肉を見るのさえ苦手なのだ。顔を歪める私に大体を説明したが、あまり頭に入らなかった。どうせ成功したならそれで良いのだった。

その後また案内されて別の階の部屋に入った。兄はここに居ると言う。しばらくここで様子を見るそうだ。

ベッドの脇に主治医が立っていた。主治医はまだ若い女性だったが、先ほどの医師と二人での手術だった。それだけにやはり気の強そうな面もあった。その人の眼が笑っていた。

兄は麻酔が切れかかって大きなあくびを何度もした。

良かった。一段落だなと、私もホッとする思いだった。一応の感謝を込めて、私は深々と主治医に頭を下げた。

2022年3月20日日曜日

春雨バーガー 11

照り焼きと言うがその雰囲気はなかった。煮詰めに近い。照り焼きを煮詰めたのだろうか。もったいない話だ。

味は----思ったほど悪くはない。ある程度の覚悟をしたので、我慢が効いたのだろう。味噌汁にはなにかやたらと入っている。芋キャベツ人参そのた諸々。味噌汁と言うより、子供の頃の友達のお母さんが作った味噌雑煮に似ていた。上手いも不味いもない。私はもっと具の少ないのが好みだ。味噌汁はとにかく具よりも汁が命なのだ。とはいえギョッとするようなものでもないので一応は何気もなく食べていた。

私は皮と血合いが食べられない。いつもそこで分けて食べてる。同じようにして食べた。

ひと口ふた口普通に食べてご飯を食らい味噌汁を飲み、モグモグさせながら次を取ろうと箸を持っていくと、血合いと白身の境目に何か挟まっている。一ミリに足りないくらいの太さのやや透明な感じのひも状だ。

春雨?

一瞬そう思った。こんなところにまで春雨…。私は血合いと白身の隙間を拡げて先端を箸でつまんで持ち上げてみた。するとそいつはアコーデオンのようににジグザグに血合いと白身の隙間に挟まっていた。

考える必要はなかった。それがなにか直ぐに判った。寄生虫だ。

 

2022年3月12日土曜日

トイレ--1

「その…、隣りの爺さんは一日家に居たのかい」

「そうみたい、爺さんだからもう仕事はしていなかったのだろうって」

知り合いの女性沙保里とのちょっとした世間話だった。沙保里の知り合いの話をまた聞きしている。聞くところによると、その女性は今も両親が住んでいる郊外の一戸建て住宅で生まれた。いわゆるバブルが弾けて、さらに年を経るごとにどんどん住宅が値下がりして、そんな時、若い両親が住まいを探して歩いた。

中古だったがようやく適当な物件を見つけた。都内のアパートに住んでいることと比べたら、凡そ毎月の支払いが半分近くになって住宅が持てた。一応は隣近所の雰囲気なども調べて、問題になるようなことは何もないように見えた。少なくともその時は。 

 やがて女性が生まれた。一人娘だ。大事に育てられ、高校まで地元の学校に通ったが中学生の頃には近所でもちょっと見ない可愛い娘になっていたらしい。 

 「今でも美人なんだ」

 「そりゃまあ、悔しいけど私よりはね」と沙保里はひと区切りして「でも、ちょっと気の毒な生まれよね、痴漢に遭ったこともあるし」と言った。美人なら一つ二つはそういうこともあるかも知れない。 

 「彼女、子供の内はあまり気にしなかったそうだけど」 

中学生になったころ、そろそろ隣りのオヤジが気になりだしたというのだ。

2022年3月8日火曜日

粘着質--3

しかし、相手にはしないと言っても、それもまた難しいと彼は言う。

相手にはしない。しないけれど、こちらで書いた記事をアレンジして自分の記事にしている。これはかなり嫌な感じだと彼は言うのだ。相手にしないと言うことは、記事を書かないということだ。だから、まったく関係のない話題を書くしかない。しかしそれだとアートのブログにはならない。

なるほど、それは困ったもんだ。とすると結局は放置ブログにするのか。それでも良いと彼は言う。元々アートのブログなどアクセスなど知れている。苦労しても金にもならないのだからそれで良いのだと。

「俺が観察してやろうか」ついそんなセリフが出た。

「お前が観察してどうする」

「俺は文章だから、そんな事から意外なものが書けるかも知れん。そいつの文言の癖やそれ以前の人としての癖や性格の問題がある。しばらく観察していると、結構ゾッとするものが覗けるかも知れんぜ」

「それがネタになるのか」

「何でもネタになるんだ。人間の腹の底のドロドロした部分はまんまオカルトさ。そんなのが普通に混じって生きている。ストーカーの始まりだって粘着質だよ。周りは薄々気づいても知らん顔して付き合っている。これがそもそもはオカルトホラーさ。まあ、お前は知らん顔してしばらく続けろ、いよいよ阿保らしくなったらそれで止めれば良いのだ」

「好きなようにしろ」と彼は言った。「ネットというところはどうしてもこんなのが出てくる。これはまだ精々当て擦りを言っているだけで可愛いものさ」

「だけどお前、そんな思いしてなんでブログを続けているのだ。今すぐ止めたってどうってことないだろ」

「何人かフォローが居る。だから止めてしまうのもちょっとね」

長い事こいつと付き合っているが、相変わらずお人好しで踏ん切りの着かない性格だと思った。

2022年3月1日火曜日

粘着質--2

「それならいっそ遊んでやったらどうだ」
半ば冗談だったが、半分は面白く感じていた。
「遊ぶってどうする」
「だから、相手は粘着しているんだろ、だったら何か一つ餌を与えて仕事をさせるんだ」
「そんなことしてどうするんだ」
「だから、どうせ粘着されているのだから、他のブログを立てても見つけてねちゃついてくるぜ。絵柄なんかでどうしたって判るだろ。それならいっそ知らん顔して餌だけやるのさ。その度にあっちは過剰に反応する。日常事なんかきっとそっちのけさ」
「そうかな」
と言って彼は少し考えていた。

「こっちは徹底して一般論を書く。飽くまで向こうには全然関心はない。相手はこっちを的にして反応してくる。それで段々粘着を越えてくる。それで狂わせるのさ」
「馬鹿を観察するのは面白い?」
「そうさ、そのくらいの余裕は持つのさ。飽くまでこっちは一般論、何があっても知らん顔。あっちは日々カッカしてくる。ドンドン怒らせるんだよ。どこかで一線を越えたら面白いぜ。相手がそれ程の馬鹿でないなら途中で気づいてあっちから距離を取る」
しばらく考えて彼はボソッと呟いた。
「面白いかも知れんが、俺はそいつらとは違う。正常人間さ。そんなエネルギーはないよ」

面白そうだったので、ちょっと私は残念だった。しかし安心もした。彼がそんなのを相手にする性格でないことを。
「じゃあ、ブログはどうするんだ。相手はお前を批判しているんだろ、少なくとも自分の周りにはわかる程度に」
「適当に放っとくさ、思い出したら書いても良い。どうせアクセスなんかに興味はないし。周りだって馬鹿でもなければ気味悪くなって遠ざかるだろ」
「いいのかなそれで、やっぱり変だと思うぜ。そんなのが出てくるたびに面倒なんて。それにそんな奴の周りにはそんなのが集まるんだ。現に二人居るんだろ」
「元々それがネットの世界なんだよ。いや、ネットじゃなくてそれが人の世の中なんだ。普段は見えないだけで、一皮剥いたら怪物はどこにでもいるので」
「じゃあお前も怪物になれよ」
「俺は一皮剥いても真人間、ないよりましの何とかさ」

私たちはふたりしてあっはっはと笑った。

2022年2月22日火曜日

粘着質

友人と語らう。ちょっと癖があるが、別にそれが支障になるほどのものではない。気楽な奴だ。そいつがこぼしていた。

そいつは絵を描いている。そんなブログをやっているそうだ。私は見たことがない。私は文字の方で、実はあまり絵には関心がない。言うと悪いから黙っているが…。

彼が言うには、どうやらブログが粘着されているらしい。一つ記事を書くとそれに絡んだ記事を書いて、三日くらい後で必ず自分の記事にする人が居る。

ということは相手も絵を描いているのだろうが、それもどうやら二人居るらしい。二人はどうやら知り合いのようだ。似た者同士はくっ付く。それが世の習いだ。

粘着質はどこにでも居る。そういうものからは黙って遠ざかる。普通ならそれで良い。しかしブログはそういう訳には行かない。相手はずっとこちらを見張っていて、記事のネタを拾っているのを黙って黙認するしかない。ネタを取って、初めて知ったようなことを生まれつき知っていたように言うらしい。

もう止めようと考えて居る。大体ブログをやっていて一銭の金になる訳じゃない。この頃は面倒だったから、丁度良い機会だ----彼はそう言う。

粘着質は治ることはない。もう生まれつきさ。そういう人に餌を与えることはない。時間の無駄みたいなことだったらすっきり止めてしまった方がよろし。私もそう思った。

でも他人のことは言えない。自分だってこんな奇妙なアクセスひとつないブログをやっている。自分でも理由は分からない。粘着質が出てこないだけましだけど。

2022年2月3日木曜日

電話

電話の向こうで叔母があれこれ言っている。はっきりと聞こえない。いつものように何やら怒っている。この人はずっと昔からそうだ。普通の人なら引っかからないようなことでも直ぐに機嫌を悪くしてなにやらと言う。

子供の時から嫌いだ。大嫌いだ。なにかあって消えてくれたらいいのにといつも思っていた。今も思っている。言葉使いに棘があり、多分誰に対してもそうなのだ。皆この人を避けている。

そんなのが何故距離も離れている自分に電話をしてくるのか。どうやらなにやら揉め事があったので一度来いと言っているようだ。

馬鹿げている。何で行かなきゃならない。こっちもそれ程気の長い方じゃない。行くと必ずトラブルになる。そもそもそんなこと、自分に関係ない。

これまでにも何度かこんな電話がかかってきた。その度に適当に不機嫌な声を聞いて受け流す。いったい、何故自分がこんな人を相手にしなければならないのか、段々腹が立ってくる。

当家は昔苦しくて、自分が物事もわからぬほどの幼いころに多少の金を借りたようだ。それ以来当家に態度がデカイ。その多くを、成人してからの自分に出すようになった。父も母も亡くなっているが、ふたりには言わなかった。以後自分に対して昔の恩を言い出して、それがずっと続いている。

ぼんやり考える。縁切寺とか神社とかは、こんな時の願い事も聞いてくれるのだろうか。あの人はもう死ぬまで多分こんな感じだろう。

2022年1月17日月曜日

癌 8

どうひいきめに見ても、兄とは仲が良かったとはいい辛い。気取り屋で知ったかぶる癖があり、特に私が幼かったころは小舅のようにネチネチと私をいじめた。逃げ場のない私には本当に毎日がストレスだった。何かあって居なくなってくれれば良いとさえ日々思っていた。大人になってからは遊び癖が付いて、作った借金の尻ぬぐいをさせられた。通じて困った存在だった。

そんな兄なのに、どうか手術が成功するようにと、私は癌封じの寺や神社を訪ねた。先はなくても、一旦は手術が成功して家に帰らせてやりたいと思った。懸命に祈った。何故なのか。厄介な兄だったことを思えば、さっさとおさらばできると喜んでも不思議ではなかった。

別の生き方はなかったのか。今さら思ってもしょうがないことを、他に考えることもなくつらつらと思ってしまう。成人してから家業を継がされてからの兄は自分の未来を閉ざされたように思ったかも知れない。やりたいことは他にあったのだと思う。だから屈折した。それは解る。しかし子供時代の兄の不機嫌さと私をしょっちゅう叱る粘着性がどこから来たものか理解できない。親父は身勝手だったが割とあっさりした性格でそんな粘着性はなかった。

私から見た兄は、周囲が見る兄とは全く違っていた。学校での成績は優秀。中学生時代は教師の覚えも目出度く、校内のちょっとした人気者だったようだ。それを知ったときの私は複雑だった。あの兄が…。

フェンスに肘をついてぼんやりと空を見上げた。どこから飛んできた雲が陽を遮り始めた。