2023年10月11日水曜日

粘着質--13

私は彼のブログと粘着している女性のブログの記事をのんびりと眺めた。いつから粘着されているのかわからないと彼は言っていたが、本当はそうではあるまい。わかっていたはずだ。多分これがそうだろうという切っ掛けになる彼の記事を見つけた。彼は世間で言うところの、いわゆる--講釈垂れ--が嫌いなのだ。そして身近に居る講釈垂れに関する苦言をブログに書いた。

--絵を描いてお説の多い人は、つまりは自分の絵を、引いては自分そのものを評価するように誘導していることが多い。聞かされる人は黙っているけど本音はしんどいだろう。なるべくなら程々にされて、講釈好きなお方はもっとクールに自分を見つめてはいかがか--

言っていることは精々そんなことだが、恐らくこれがカチンときたのだ。彼は決して個人を指して言った訳ではない。しかし身に覚えがあったのだろう。人は気にしていることに関して言葉が多くなり、図星で逆上するものだ。

切っ掛けは精々がこの程度のものだった。ここから以後ずっと彼に粘着するようになった。子供の頃からの経験で、私も色んな人間を知っている。子供は憎悪や歪みがそのまま出てしまうことが多い。しかし大人になれば徐々にモロな出方はしなくなるものだ。情緒レベルで大人に慣れない人間ばかりだと社会は壊れる。しかし一部でそのタイプの人間が混じっているのだ。