2021年11月20日土曜日

春雨バーガー 10

「今だったら、ブリの照り焼きが早いよ」

女将はいきなりそう言った。早いよと言うより、それにしろと言っている風に聞こえた。しかもある程度の強制を含んでいる。

しょうがなかった。

「あ、そう、じゃそれで…」

この店構えでブリの照り焼き。いったいどんなものが出てくるのか。失敗したと思った。ちょっと怖くもあった。なにしろ女将のご面相がなんとも。衛生面で大丈夫なのか。

待つ間、適当に雑誌を手に取って読んでいるふりをした。動揺のカモフラージュだった。少し落ち着けば。

女将は、なにやらガチャガチャとやっていたと思ったら、間もなくカウンターのせり上がりにあれこれを置き始めた。

「悪いけど取って…」

言われて私は立って手を伸ばし、ごはんとみそ汁を両手に持とうとした。

「一個ずつ持って一個ずつ。味噌汁熱いよ、落とすといかんからね」

言われるままにした。この女将には逆らえない雰囲気がある。確かに味噌汁は熱いから、危ないこともある。

ごはんも味噌汁も一般より大きな器に入っている。そういう店なのだろう。最後に乗せられた皿を両手で運んだが、これも大きい。ブリのボリュームもあるが、照り焼きと言うより煮物の雰囲気だった。しかしそれでも覚悟したものよりは上出来だった。

「マシかも…」

腹の中でそう思った。

2021年11月6日土曜日

癌 6

兄は交代制の仕事をしていた。父が卒中で倒れた日、本来休日だったが、「忙しいから出てくれと頼まれた」そう言って出て行った。しかし会社には出ていなかった。

父は散歩中に倒れて、その時点で亡くなっていた。警察から連絡があって、母ひとり家に置く訳にも行かず連れて現場に出向いた。その時はもう父の姿はなく、既に運ばれた後だった。署へ呼ばれたときは既に検視は終わっていた。手帳を持たせて、名前と住所を記してあった。 警察の前の公衆から何度も兄の会社に電話を入れたが、来ていないの一点張りだった。

警察は冷たかった。こっちは遺族なのに、そのいたわりもなかった。冷たい視線の嫌らしい男は係長だと言った。まるで犯罪者の扱いだった。こういう時は、そういうものなのだろうか。色々訊かれた後、所持していたものなどの確認をして、ようやく父の遺体の前に案内された。汚い倉庫のようななかだった。事件性がないので葬儀屋に連絡を入れてそのまま遺体を運んでもらった。

その間の母が心配だった。亡くなったということがわからずに、ずっと病院に居るのだと思っていた。どこに居るのか何度も訊いた。しかし棺桶を見せられて声をなくした。それでもしばらくは事態が飲み込めないようだった。

兄が居てくれたらと、何度も思った。

家に遺体を運んで、ようやくホッとした。母は疲れが出て倒れるように横になった。夜の十時ごろ、兄はようやく帰ってきた。

どこへ行っていたのか。会社に行ってたと言うのは嘘だったのか。私は頭に来ていた。兄は父の死を知って一旦は仰天したが、直ぐにいい訳を始めた。急に他の部署へ行ってくれと言われて…。

「嘘つけ、会社はそんなこと言ってなかったぞ。こんな時に適当なことを言って行方不明になるなんて、いったい自分はどういう人間か」

兄には得体の知れないところがあった。小さな嘘を平気で吐くようになっていた。一大事が起きたとき、何故か兄は居なかった。結局この時も、どこで何をしていたのか遂にわからない。

この兄のせいでいったいどれ程の苦労心配があったろうか。

そんなことをぼんやり考えた。