2021年10月30日土曜日

春雨バーガー 9

食事に出た。裕福ではないので普段は自炊している。しかしつい面倒くさくなった。麺類は食べる気がしない。きっとしばらくは無理だろう。何を食べようかと思いつつ半ば散歩をする。

この町は道路状態が悪い。やたらと段違いになっていたり、つぎはぎだらけになっている。路地とも生活道路ともつかぬ道を板塀や植え込みに挟まれて歩くとあまり歩かぬ、というか、一度も歩いたことのない道に出た。ようやく車一台走れる狭い道。この町へ来て長くはないので大方をまだ知らない。なにやら探検する風でその方が面白い。

道なりにぼんやり歩くと、福寿草という名の大衆食堂があった。汚れた看板、むろんウインドウのようなものはない。ただ軒の上にそういう看板があるだけだ。しかしとにかく暖簾が下がっている。

あまり綺麗ではない。美味そうなものが出てくる雰囲気はない。第一、人通りの少ないこんな通りに店を構えて商売になるのか。その訝しさが誘った。

入ると同時に逃げて帰りたくなった。二つのテーブルとカウンターだけの店だが、雑然と雑誌が積み上げられて、いつ掃除をしたのかと思えるほど汚れていた。しかしこれだけ雑誌が積み上げられているのを見ると、それなりに客はあるのかも知れない。安食堂の客の大抵は雑誌を読みながら食事をする。

女将がカウンターの向こうで座っていた。その風貌は太った某お笑いタレントをさらに太らせた感じでやたらと分厚い唇に顔が真っ赤だった。病気かも知れないと思った。

入ってしまった手前、出ていく勇気もなくて出口に近いテーブルに恐るおそる座った。

2021年10月25日月曜日

癌 5

病院の、サンルーフと呼ばれる待合室のようなところで手術が終わるのをぼんやりと待った。終わったときに看護師が呼びに来てくれるので、手術を待つ人が大方ここで待つようになっている。

左程飲みたくもないのに、自販機から一本出して、飲むでもなく飲まぬでもなく、備え付けのテレビでニュースを見るけれども、眺めているだけで何も頭に入ってこない。

奥の方では主婦のグループがボソボソと話をしている。いつから悪かったとかどうだったとか、病気の話ばかりだ。

この部屋の空気は、少ししんどいと感じた。外は屋上。そこから町を眺めてみようと思った。訓練歩行をしている患者や車いすを押している看護師が何人か居たが、それぞれには無関心だ。

柵によっかかって、自分たちの住んでいる辺りを探してみる。駅に近いスーパーから見当を付けて道筋を追うと、曇り空の向こうに小高い丘を削って宅地にした場所が見える。小さなプラモデルのような屋根が幾つも並んでいる。そこが私たちの住まいだ。何の因縁か、縁やゆかりができようとは思わなかったこの町に家族は住むことになった。バブルが弾けて、そろそろ買えるようになった頃、中古の住宅を私が購入した。あると言っても精々そんな因縁だ。そんな町の病院で、兄は命を終えようとしている。

2021年10月23日土曜日

吹き出物

隣り町の画廊を訪れた。客など居ないと思っていたが、女ばかり数人、世間話で盛り上がっていた。

今の世なので接近は躊躇われたが、芳名帳の前にたむろしている。間を縫うように分け入って名前を書いて出た。世間話はしない

翌日、鼻の下あたりに吹き出物ができた。何だか変だ。以前は首が変になった。

吹き出物と言うより、痛みに関してできものに近い。触るとできものの感触がある。こんな場所に、ちょっとやばい。中心線上だ。

しかし二日ほどして消えた。その消え方も普通のできものの感じではない。

後日、遠い所に用事があった。なるべく人に紛れるのは避けたいがやむを得ない。電車は割と混んでいて、座席に隙はない。こんな状態で一時間ほど乗った。

すると後に、右の瞼の端っこが痛くなった。触るとヒリヒリして、大したことはないものの、やっぱりできもののような痛みがある。それはまだ消えない。

どうも変だ。いま世間で言われている接種者から放出されるアレだろうか。デマだと言われているけど、どうなんだかなあ…。なんとも言えないが、ちょっと気になる。

2021年10月19日火曜日

別れの予感

老齢の母をひと月に一度病院に通わせていた。ボケの一種なのかそれとも現実なのか、耳の中に人が住んでいると言い始めた。耳鳴りの一種と思われた。

電車で三十分ほどの小さな町にある大学病院。そこにもう何度も通っている。いつも私が付き添うのだが、仕事の都合でその時は兄に付き添ってもらった。兄はしばらく前に勤め先をクビになって家でゴロゴロしていた。

私も駅まで着いて行って二人を見送った。二人が改札をくぐって、私は近くの陸橋の上から電車が入ってくるのを眺めていた。二人が無事に乗るのを一応確認してから帰ろうと思った。

電車が入ってきた。二人の姿が見える。よちよちと歩く母の手を引いて二人が乗るのが見えた。そのシーンが、何故か今生の別れのように、瞬間感じた。何故か分からない。分からないがそう感じた。

現実にはそんなことはない。無事に二人は戻り、帰りにどこで飯を食ったとか、そんな話で一応盛り上がったりもした。

兄はそれから凡そ十年後に胃癌で亡くなり、母もそれから更に四年後に介護途中で亡くなった。途中で大腸癌が判明した。

しかし何故か、陸橋から眺めたその時のシーンが妙に焼き付いている。時期は違うが、私は二人の何らかの部分と、その時別れたのだと、今も感じている。

2021年10月14日木曜日

癌 4

困った兄だったが、とにかく手術は成功して欲しい。一旦は家に帰らせてやりたい。それで何日持つか知れないが、僅かでも最後の日々を自宅で過ごさせてやりたい。

兄は遠からず自分が死にゆく身であることを知らない。知らない方が良いのだ。教えて何になる。兄はなんでも都合の良いようにしか考えない。幼なかった頃からずっとそうだった。心配性の私とは正反対だった。胃潰瘍としか伝えねば、手術が終わったら問題は解決したと思い込む。それで気楽に何日かは生きる。それで良いのだった。

何年も前に父は亡くなっている。散歩中に倒れた。脳卒中だった。兄は父に、半ば無理やりに家業を強いられ、冴えない家業を手伝っていた。事業は回らず、何年やっても楽にならず、兄の人生は崩れた。いつの頃からかパチンコや競馬など、かけ事にのめり込むようになった。元々身勝手な部分のある性格だったが、崩れるのも理解できないことではなかった。

2021年10月13日水曜日

妙 ある事故のニュース

2019年のある日、ぼんやりとネットをさまよっていていて、その事故のニュース記事を偶然見つけた。確か厚木市だったか、川の向こうにある高校へ自転車通学の途中で、女子高生が大型トラックに轢かれて亡くなった。

川にかかる橋をやや登った辺りで、向かいから歩いてくる通行人のリュックが自転車と接触し、バランスを崩して転倒したところをトラックに轢かれたと。

しかし記事によると、事故の日付は2015年の3月となっている。これが、ちょっとばかり私には腑に落ちない。私がそのニュースをテレビで見たのは2018年だった。しかもリアルタイムだ。

そんなやりきれない事故があったのかと、ネットでも報じられているであろうと記事をその時点で探した。しかしなかった。あちこちにニュースサイトを訪れたが、どこにもそんな記事はなかった。

妙に思いながらも、いつしか記憶から消えた。そして偶然、2019年になってその記事を見つけた。報じられている事柄はリアルタイムで見た報道と合致する。しかし時期が合わない。事故から三年も経った後に、私はテレビのリアルタイムニュースみたことになる。

テレビ局がどこだったかなどはもう覚えていない。しかし間違いなくリアルタイムだった。こんな事故が報じられれば、私の性格上強い印象が残る。しかし 2015年に何があったかなど、もう全然覚えていない。その年は私にとって大したことはなかったのだ。あれば必ず私の記憶に残っている。

このようなこともあるので、私にはこの事が胸のなかにずっと響いたままだ。僅か数秒で人の生き死にが変わる。どこかの誰かのちょっとしたことでタイミングが変わり、後の運命がずれる。それは当たり前だろうとは、なかなか思えないのだ。

橋は交通量が激しく以前から危険が指摘されていたようで、事故後には専用の歩道が設置され、現場には花が添えられている。機会があれば訪れて手を合わせてみたいと思いつつ、果たせないままだ。


2021年10月11日月曜日

春雨バーガー 8

バーガーは捨てた。既に食べる気にはならい。袋を締め付けるように捩じって、もったいないことをしたと思いつつゴミ箱に投げ捨てた。

そうだ、口をゆすがねば、今頃思い出した。出しっぱなしのコップを先ずゆすいでと思ったら、飲みかけたまま半分底に残った水に何か浮かんでいる。

「糸くず?」

目を近づけて覗き込むように見ると、それは長さ5ミリくらいの黒い糸くずに見えた。はて、部屋の中に黒い繊維なんてあったか。

そのままゆすいでしまえと思ったが、思い直して割り箸を取って先で救ってみた。先端に乗っかるような形になったそれにさらに目を近づけると、ちょっと動いたように見えた。

「え?」

何かの幼虫だ。いったいどこから来たのか。ティッシュを取ってそいつを擦り付けると、溶けるように形が崩れた。そして徐々に灰色の染みになって広がった。

ティッシュの上に染みだけが残った。

2021年10月10日日曜日

癌 3

胃潰瘍の再発だと、兄にはそう説明した。本当のことを言ってもしょうがない。それを受け止めてどうのこうのという性格じゃない。自己管理のできない自堕落な暮らしを続けて、ついには私の元に転がり込んできて、その後は居候のような生活を続けていた。兄の借金を私が肩代わりしたような身の上で、遺産もなどあろうはずもない。今更この兄から遺言されることなどなにもない。実際まったく、心配事ばかりの厄介な兄だった。半年持たないで死んで行くそんな兄には、もう余計なことを言わずに、多少でも気楽な気持ちのまま逝かせてやれば良いのだった。

「悪くなっている部分を切るんだ」 手術の説明をした。医者からのあれこれは私が聞いたが、細かいことは伝えなかった。

ほーんと言う顔で兄は聞いていた。またやるのか、面倒くさいこっちゃとうんざりした顔を浮かべた。入院室のベッドに横になってぼーっと窓を眺めていた。ポツンと、いつ出られるのかと訊くから、そんなにかからないらしいとだけ答えた。

2021年10月9日土曜日

癌 2

「癌だね、癌」

ある程度の予想はしていた。しかしまさかとも思った。医者は続けた。

「年は越せないね。これじゃ三か月か、長くても四か月」

そんなに急なのか、いままで曲がりなりにも普通に暮らしていた。食事だってできていた。変だと言い始めてから二週間も経っていない。

医者は写真を見せた。

「幽門ね、ここがもう詰まっちゃって…」

見せられるとそうかと思う。初めて胃の内部を見る人間に何がどうとも分からないが、確かに随分腫れていて、本来あるはずの穴が塞がってしまっているようだ。

「とにかくこれを切って、一度は帰えれるけど、自宅で何日過ごせるかは分からない」

私は写真を見ながら黙っていた。

「お兄さんに説明する?こっちでしようか」

私は黙って首を振った。兄にはもうやらねばならないことなど何もなかった。何もしない人間だった。言って覚悟を決めてもらうことなど何もなかった。

2021年10月7日木曜日

春雨バーガー 7

それは生き物を連想させた。動きが不自然だ。しかしそう見えただけかも知れない。あんなのを目撃したから。

割り箸で渦をほぐしてみる。どうやら春雨には種類があるようだ。普通に見かける白いのばかり見えるがさっきのは違っていた。真ん中に芯があった。そいつはどこに紛れた。

箸を動かす度にネチャついた音が聞こえる。大した量じゃないのに、もうどれだかもうわからない。しょうがないから掴めそうなのを適当に摘まんで持ち上げた。輪になって伸びて、しかし端っこがなかなか出てこない。今度は落とさぬようにぐっと引っ張る。やっと出てきた。頭、いや尻か。目を近づけるが、ケチャップにまみれている。一緒に入っていた紙ナプキンで拭ってみる。しかしこいつはごく普通の春雨にしか見えない。

思い出した。そうか、春雨にも黒っぽいのは混じっているものだ。きっと種類の違うこんにゃく系が混じっていたのだろう。

そんなところだな。私はつい笑いを浮かべた。さっきのシーンが気持ち悪かっただけなのだ。どうと言うことがなくなるまでは麺類は駄目だな。

2021年10月4日月曜日

春雨バーガー 6

部屋に入ると小さなちゃぶ台の上に適当な雑誌を広げて、一旦はそのまま捨ててしまおうかと思ったバーガーを袋から取り出して置いた。

噛んだ歯形が見事に残っている。自分の口はまん丸くて良い歯の形をしているのだと妙なところで認識するのだったが、その部分からは春雨は見えない。縮んで引っ込んでしまったのか。

重なったパンを摘まみ上げてみる。すると、春雨はぐるっと回るような渦を巻いてた。機械的な渦だと思った。辛子やケチャップや野菜やマヨネーズがもっともつれ合った姿を想像していたが、整っていた。

しかし、噛んだ部分が見えない。どうしてだろう。不思議な思いでちょっと顔を近づけてみる。ちゃぶ台の上にいつも転がっている割り箸で一部を探って、一本摘まんで引っ張ってみた。灯りで透けるように顔を横位置に下げてじっくりと観察した。

麺が二重に見える。黒っぽい芯があって外が透明にできている。複雑な形をしている。こんな春雨があるだろうか。芯のように見えるのはなんだろうか。製法の関係でできるものだろうか。

虫眼鏡がどこかに…そう思ってちょっと振り向いたら油断して春雨が落ちた。アッと思ったら、そいつは引っ張ったゴムが縮むように勢いよく春雨の渦の中に消えた。

2021年10月3日日曜日

癌 1

元々強いほうじゃなかった。まだ若い頃に胃潰瘍で一度切っているし、緊張したりストレスを感じると唇が荒れた。そんな兄は胃薬を手放せなかった。時たま品を変えたりして、何十年もそれでやってきた。しかしある時、胃がムカつくと言って気分悪そうにしていたと思ったらいきなり流しでゲロゲロとやった。

うちの一家はこんなときいつもそうなのだが、土曜日の夜で医者へは行かなかった。兄は休んでいれば大丈夫だと言った。一応月曜日に近くの開業医で診てもらうことにした。医者は別の大きな病院を紹介した。ここでは設備がないと。一日置いた指定日に紹介状を持って出かけた。私は仕事を抱えていたが、幸い自宅での仕事だったし、多少の納期もあったから診察にずっと付き合うことになった。

紹介状を読んだ医師は隣町の大学病院からの出向だった。准教授らしい。容態の説明を多少した後に胃カメラに回されて、その後長い時間待たされたが、付添いの方どうぞと、何故か私だけが診察室に呼ばれた。私が椅子に座るなり医者は言った。

「駄目だねこりゃ…」

2021年10月2日土曜日

春雨バーガー 5

雑草に囲まれた空き地と言えば空き地の一角に、泥水の溜まった丸い花壇を囲むようにして建っているコの字型の古い木造アパートに私は戻った。アパートと言ってもそもそもここはアパートではない。昔は何かの会社だったとかの使える部屋だけを多少改造してあるだけで、私はむしろその雰囲気が気に入った。平屋の建物で、アパートと言えば二階建てしか知らない私には新鮮でもあった。

部屋は六畳と三畳の二間しかない。一応流しがあるので、元は休憩室だったのだろうか。 小さなドアを開けると三畳間、奥に六畳間に押入れとアルミサッシの窓がある。日頃は三畳間にちゃぶ台を置いて食事をし、奥に机を置いて仕事をしている。

仕事は大したものではない。いくつかの書類に目を通し、不整合な部分を拾い出す仕事だ。終わったら納品に出かけても良いし郵送か宅配でも良かった。大したことはないのだが、時折は不鮮明な文章や図面などがある。そんな時は神経を使う。

他の住人は、今の所見ない。気楽で良いのだが、心細くもある。しかし隣の心配をしないで良い方が私には良かった。格安だった。

多少面倒くさいのはトイレだった。古いままなので浄化槽式の和式。これが花壇の向こう側にある。今は良いが、寒くなってくると夜中は面倒だろうなと思った。トイレと私の部屋以外は閉鎖されているようだった。

2021年10月1日金曜日

ご挨拶

いきなり初めてご挨拶もありませんでした。ここで多少のご挨拶をさせていただきます。

ここに記述していることは、その全部と申し上げている通り、現実も妄想も全てが含まれています。決して全部が妄想ではありません。でも、それを信じる必要はありません。自分の身に起きたことは自分にしか解りません。それは全くの空想と入り混ぜて語っています。

世の中こんな状態ですので、あれこれのことをしても、私もいつ流れ弾に当たるか知れません。そう思ったら、多少の戯言を呟いておくかと思いました。流れ弾も怖いですが、今この世で起きていること自体、まさに誰かの冴えない妄想のような気さえして、私はいささかの恐怖を覚えます。多少過去に戻って、誰かに今の現実を語っても信じないでしょう。

記事はまったく不定期で思いつき次第で書いています。書いていて退屈したら止めるかも知れません。面倒見の悪いブログですので、出来心で順不同で書いています。なので記事が飛んでしまったりしますが、続けてお読みになりたい方はラベルから引っ張ってください。酔狂な人がどれだけ存在するか私にはわかりませんが、閲覧して頂ける方には感謝申し上げます。