2023年12月16日土曜日

粘着質--14

ブログは、運用している者は全て同一線上に並ぶ。イワシがクジラに絡みつくことも、だから普通にある。そういうのは放っとけばよいのだが、記述を流用されることがあったら黙っていてはいけないと私も思う。

その観点でみれば、彼の記述は相手に幾つも流用されているか、或いはいちいちに絡みつかれていると私は判断する。例えば--サムネールのような小さなサイズで描いてみれば、ほぼ重要なものだけを必然的に選ぶようになる。それはちょっとした練習にはならないか--というような記事を彼が書けば、二三日後にはそっくりな記事を書かれる。文言などは変えてあるがつまりネタは同じだ。またある時は--安価なデッサン人形でも練習には使い様だ--とする記事を彼が書けば、今度は--人物は必ず本物から描こう--などという記事ができる。

つまり彼が何か書けばくっ付くような記事が後にできる訳で、その逆はない。

これは嫌らしいな。それが私の感想だった。子供の頃には似たようなのを見たことはある。子供は子供だ。成長してくる段階では色々ある。しかし社会では困るのだ。と言って、これのために何かするなどと、あまりにも程度が悪すぎて、何をする気にもなれないと言うのが彼の本音だろう。

それは確かに頷けるのだ。彼は過去には業界で仕事をしたこともあって、商業美術と趣味で描いている世界は同じではないが、つまりは彼はプロなのだ。それで仕事ができる描画力がある。今は止めて畑違いの絵を描いているだけなのだ。

彼の判断は、彼としては正しいと思う。白鳥がアヒルと並ぶ必要などどこにもない。