2022年4月19日火曜日

粘着質--5

一応の警告をした--と彼は言う。それとない記事を書いて、そのなかに本人が読めば判るような文面を散りばめたそうだ。もちろん、飽くまで一般論として…。

もともとネットに入れ込み過ぎるのは要注意だ。他人が呟いていることを異常に気にする、記事を書いたら反応が気になって仕方がない、反応がないとイライラする、反対論者には絡みつかないと気が済まない、これ皆異常への入り口だと。

彼は特に己の一般的な絵画論や技術論に関して、それと判る形で引用されてネタにされたりネチネチと当て擦りめいた批判記事を書かれている。何か書くと二日三日後には必ずネチネチとやる。これはかなり気味が悪いだろう。

「周りで言ってやる人が居ないのかね」

「周りがわざわざ言うはずはないだろ、関わらないのが一番さ」

そう言えば、Twitterでの激しいやり取りはまったく正面切っての揉め事みたいなもので、私にはそこに入れ込む人の性格を歓迎しないが、世間というものは大なり小なりそう言うものだ。しかもあれは発信者が最初からのある程度の覚悟を持ってやっている。双方がそうだ。だからあれはあれで良いのだ。しかし彼はそう言う性格ではない。だからあれには手を出さない。絵を描いても絵画論でしつこいのはいくらでも居るそうだが、それと判ると彼の方からサッと距離を置くようにしているそうだ。

美術論など人さまざまがあるものだが、あまりしつこくて上から目線で語る人や気取りの強い人にはそれなりの苦言もするが、飽くまでそれは一般論で述べていてどこの誰かを的にしたものではない。しかし相手は一般論ではなく、明らかに彼に向けて当て擦りを発信している。これはストーカーのようなもので、少なくともその入り口であるだろう。その性格がいったいどこから湧いてくるのだろうか。

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